聖戦

“僕らの戦いは、初めから始まっている”

目に見える敵。

目に見えない敵。

その敵の目的とは一体なにか?

何のことはない。

ただ、彼らも生き残るということに必死なだけなんだ。

・・・

我々は、すぐに善と悪を生み出そうとする。

そして、敵と味方に分けたがる。

だけど、本当は、そこに敵も味方も善も悪もない。

そこに在るものは、ただ、

“生き残る”という生命のミッションだと思う。

・・・

ここ数ヶ月、世界はコロナウイルス一色となった。

この先、何百年も先までも、このウイルスが巻き起こした騒動が

歴史の中で語り継がれるだろう。

しかし、我々人類と細菌やウイルスとの闘いは、

ある種、宿命のようなものであり、

この世界で生きる限り、人類を含め、

ありとあらゆる生命体が、

隣り合う生物と生存競争をすることは宿命付けられている。

実社会において、同業者がしのぎを削るって

生き残りをかけて戦っているのと

全く同じことだ。

パイは、限られている・・・ということだ。

生命体は、地球という規模で生き残りをかけた

椅子取りゲームを数億年の間、ずっと繰り広げている。

それが自然の摂理である。

自然淘汰の繰り返しの先に、

進化が生まれ、

我々も今、ここに存在している。

・・・

物事を考える時に、

僕は、こうした大局的なことをまず考えた上で、

現実的なことを考える。

目先の問題ばかりを解決したところで、

本質的な問題が解決しないからだ。

今回のコロナの問題も、

大局的なことをまず考えるが、

理想論ばかりを口にしたところで、日々の暮らしが改善されるわけではない。

目の前にある問題をひとつひとつクリアしない限り、毎日のメシは喰えない。

ただ、ひとつ言えることは、

コロナによって、世界は少し変わったかもしれないが、

本質的には何も変っていないように思う。

別の言い方をすれば、

常に、自然とはカタチを変えて進むものであるし、

そこに付随して、現実世界も同様に常に変化している。

要するに、コロナによって

変ったわけではなく、それは常に起きている変化の一要因に過ぎない。

・・・

果たして、我々は、この問題が起きて、

初めて何かを考え、行動し、

先の分からない未来を危惧し始めたのだろうか?

いや、我々は、生まれた時から既に戦ってきた。

生きる事とは、毎日が何かとの戦いだ。

コロナであろうがなかろうが、

生き残る為に必死のなのは、何も変わらない。

災害は、きっかけでしかない。

自然界に身を置く以上、

ありとあらゆる自然災害は、

受け入れないといけない。

それが、ルールであり、

自然の営みそのものだ。

我々、人間が暮らす実社会というのは、一体何か?

それは、カタチを変えた【ジャングル】となんら変わりない。

弱肉強食のサバイバルに決まっている。

・・・

《何事もなく平穏な毎日・・・》

こんなよく聞くフレーズを何かで読んだことも

聞いたことも、そして、ごく稀に自分で使ったりもするが、

実際、そんな日々は、刹那でしかない。

生きる事なんて、そんな簡単なことじゃないし、

商売を継続させる事なんていうのは、

毎日が、何かとの戦いだ。

経営者は勿論、誰かに雇用されていようが、

家庭にいようが、

生き物として、誰もが生き残る為に、

必死であることは、変わりない。

今回のコロナで、

そうした、当たり前のことが

浮彫になっただけだろう。

僕は、今まで通り、

毎日に不安を抱き、

毎日の中で自分の存在を見つけ、

起こること全てを受け入れながら、

生きていくのだろう。

コロナ騒動で経済的に落ち込んだ、

この世界を生きる上での具体的な対策は、

今まで通りに、懸命に生きる。

それで、この戦いに敗れたなら、

そこまで。

ゲームセット。

それ以上でもそれ以下でもない。

今、やれる事を全てやったなら、

それ以上は、望めない。

そういうものだと思う。

もし、今までにない不安を感じている人がいるなら、

僕は、それも幸福のひとつだと思う。

生きることが、そんなに甘いものではないということを

知れただけ、幸福だと。

心より、安らかで平和な世界を渇望するが、

その未来は、なかなか訪れないが、

希望を抱き、祈ることは、

とても《人間》らしいし、

そして、人間しかできないことかもしれない。

ただ、もし人間が全滅しても、

この地球は、粛々と淡々と

何もなかったように、存在し続けることも確かだ。

我々は、その長い営みの中で、

一瞬かもしれないが、

生まれた以上は、精一杯生きていきたいものだ。

僕の人生も、少し早い終活に入っているので・・・

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